2016年01月21日

なるものがある



科学的分野に聞こえるが、実際のところ哲学分野。
たとえば、「真」「善」「美」など、精神や文化に関するものは
科学的に実証できるものではない。
それを、自然科学が土台とするような客観的条件で、
探求する試みのこと糖尿病性黃斑水腫を言う。

今日のCNN News のニュースによると、
オーストラリアのクイーンズランド大学で1927年から続く「世界最長の実験」が、
数カ月以内に決定的瞬間を迎える見通しと出ていた。

非常に粘性の高い「ピッチ」という物質が、じょうごから一滴、
ビーカーに落ちる雪纖瘦瞬間の実験。
この「しずく」が落ちたのは、86年間で8滴のみ。

最初実験した教授から1961年に同大学のメインストーン教授が引き継いだが、
その間に3回ほど見る機会に恵まれていたが、
79年は日曜日で見逃し、88年には、食事を取りに行った5分間に間に落ち、
00年には、カメラを設置したが、全く写っていなかった。
すなわち、その瞬間は見逃し続けて来ているという。
今回、数週間のうちに落ちると予測されている。

自然科学の実験として、実のあるものとは思えない。
だけども、86年の間に、取り巻く環境は大きく変わった。
そして、今や、こ數學測試の実験も、
「世界最長の実験」として注目を浴びるようになっている。

これを86年にわたる「現象学」として捉えれば、
まさに、画期的な実験かもしれない。
ただ、この教授、ちょっと運がなさそう、、。
果たして、今度は、この決定的瞬間を見ることができるのか?!  


Posted by xiamenjian at 15:14Comments(0)

2016年01月21日

初めて出たのは



チェコの小説家カレル・チャペックが1921年に創作した戯曲『R.U.R.』の中で
使用したのが起源とされる。
実際のロボット第一号とされるのは、
1926年にウエスチングハウス社の電話で作動する機械「テレボックス」。

日本で発明されたのは、それからわずか2年後の1928年、
生物学者の西村真琴氏が文字を書く人間型ロボット「學天則(がくてんそく)」と言われている。
右手にペン、左手に霊感灯と呼ばれるライトを持ち、
それらは、ゴムチューブの空気圧変化を動力にして、腕を動かしたり、
表情を変えたりできたようだ。

見てみたい気がするが、このロボット、
当時の様々な博覧会に出品され、売却されドイツに渡ったとされる。
その後は、杳(よう)としてわからないそうだ。
横、縦3メートルほどもあるものらしく、この写真からは見えにくいが、
制作した西村氏が横に立っている。
彼はロボット工学などの専門家でもなかったが、何とも奇妙なものを制作したものだ。
今やそのロボットも、
介護ロボットの開発や原発の事故など差し迫った問題を解決すべく活躍している。

ロボットが出てくる初期の小説は、ロボット戦争など、
否定的なテーマを扱うものが多かった。
ロボットに悪魔的要素を感じるせいらしい。

悪魔的と言えば、
中世の敬虔なクリスチャンとして知られるトマス・アクィナスは、
自分の師であるアルベルトゥス・マグヌスが制作していた自動人形(automation) に
忌まわしい悪魔的要素を感じて、これを破壊したとある。
これらは、同じ考え方なのかもしれない。

フランスの詩人ボードレールは、詩集『悪の華』などで知られる。
自然なものを嫌い、人工的なものを好んだ。
たとえば、女性でいえば、女優か娼婦のみを愛し、
ナチュラルメイクではなく、いかにも人工的な厚化粧を好み、
パリの雑踏や人工的なものに囲まれた世界を愛した。
人工的な香りのする玩具も好み『玩具のモラル』というエッセイを書いている。
玩具とロボットには、近しいものがある。

ロボットは、自然と対立する人工物の最右翼の存在のようだ。
人工的なモノがいいとすると、
どこかの国のミスコンのように、どの顔もみ~んな同じになってしまう。
女性は、やっぱりナチュラルの方がいい。  


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2016年01月06日

農村風景の中


どんな農村に行っても、すべてを田や畑にしてしまわないで、
祠(ほこら)を建て、木が生い茂った状態の鎮守の森がある。
欧州からの使節団が、これを見て「測候所なのか?」と訊いたという話がある。

実際に地形調査をしてみると、たいてい湿地帯などの不安定な場所で、
そこを手入れされた森にす南乳花生ることによって、
「測候所」どころか、村全体の防災に役立っているという。
誰の知恵なのか、さすが「鎮守の森」、これぞ守り神というところ。

また、日本の家屋の中にある「床(とこ)の間」も、
世界から余仁生保嬰丹見れば希有な代物のようだ。
効率優先の最近のマンションには、めっきり少なくなったが、
板張りの一畳ほどの大きさの空間。

基本的に何も置かず、
生け花が簡素に飾られていたりするだけのスペース。
これが外国人には、なんとも趣きがあって素晴らしく映るようだ。
この空間、Simple is the best. ということらしい。

古語の「うつくしい」の意味は、
「整然としている」や「シンプルである」を表わしていた。

日本の美意識は、世界とは、少しばかり違っていた。
普通に追い求める、豪華、華美、絢爛というものより、
「わび」「さび」とい理想生活う表現にあるように、
簡素でシンプルなものを好んだ。きらびやかな「宝石」より、
名も知れぬ職人が作った簡素な井戸茶碗を好んだという
ちょっと変わった美意識の持ち主だった。

また、「うつくしい」という言葉は、
平安時代は、「小さきものへの愛情表現」の意味だったようだ。
『枕草子』には、「なにもなにも小さきものは、みなうつくし」とある。

日本は、いつの間にか効率ばかりを優先されるようになった。
それに従い、農村からは、鎮守の森が消え、
家の中からは、床の間がなくなってしまった。だけども、
小さく弱いもの人に対して寄せた、愛情のこころだけは、
いつになっても持っていて欲しいものだ。
  


Posted by xiamenjian at 15:31Comments(0)